モータースポーツ

1950年代の一時期にはF1に参戦した他、スポーツカーレースでも活躍したが、特に国際ラリーの活躍が著名。史上最多の世界ラリー選手権(WRC)王座を獲得したメーカーである。

ヴィットリオ・ヤーノ設計のマシンD50で1954年から初期のF1世界選手権に参戦、同54年、ラリー・モンテカルロをアウレリアGTでグランプリでも走っていたルイ・シロンの手により優勝に導きもしたが、名ドライバーアルベルト・アスカーリの事故死やランチア自身の経営危機から翌1955年に活動を休止。全てのスタッフ及び設備をフェラーリが引き継ぎ、「ランチア-フェラーリ D50」として5勝を挙げている。

F1からは撤退したが、その後はラリーやル・マン24時間などのスポーツカー世界選手権に活躍の場を移した。 ランチア地元ディーラーチームを母体としていたチェーザレ・フィオリオ率いる「HFスクアドラコルセ」の手によりラリーがWRC移行期である1970年代から1980年代にかけて、「フルヴィア1600HF」、「ストラトス」、「ラリー037」、「デルタS4」、「デルタHF」が世界ラリー選手権において活躍をみせた。なお、現在は正式なワークス活動は行なっていない。

また、ストラトス~ベータ・モンテカルロでのグループ5仕様におけるタルガ・フローリオ、ジーロ・デ・イタリア、モンツァ、ルマンでのオンロードカテゴリでの参戦により、プロトタイプカーである「LC1」、「LC2」等のマシンもアバルトと共に生みだし、ワークス活動を休止させてもなお、有力プライベーターからのフィードバックよるチューン等のバックアップも惜しむ事無く続けられた。